昨夜8時過ぎに、家の電話が鳴りました。
我が家の電話機は着信すると、音声で、相手の発信する場所をメッセージします。「東京です」 また電話機には、着信番号が表示されます。
内容は、○○の△△ですが、Tさんはおりますか。Tは息子ですが、はるか以前に新居を構えています。そんな者は居りませんと伝えると、あれ?おかしいなと相手の反応。連絡とれますか?そんな人はいませんで、相手側から電話を切りました。
インターネットの、迷惑電話番号サービスに電話番号を入力すると、ヒットし、読者コメントが山の如くアップしてありました。どうも、不動産投資会社では?、コメントによれば相当強引な勧誘活動のようです。
私あてにも、営業電話が時折かかってきますが、面識のない営業内容の説明はこまかく聞かず、丁寧にお断りし、静かに受話器を置いています。
庭のブドウ(マスカットベリーA)が熟して来ました。黒い果実は、甘く酸味が口にジュワーと広がります。食べるのは、私かヤギ達です。無消毒で無袋ですので、味が深いです。
我が家の庭の柿の木は、巨木です。寺社境内や公園 野山にあるのではなく、奥まった家の庭に在るので目立ちません。いまだかって、これだけの大きな柿の木は見たことがありません。
幹回り120cm 樹は上への成長が止ったら、横に枝を伸ばし、今は、枝は下に垂れ、青い柿が鈴なり状態です。歩くと、実とぶっかるのでよけて通ります。
もう亡くなった、大正15年生まれの父に 生前 いつごろ植えたか聞いたら、わしが子どもの頃も同じ大きさだったとのこと。樹齢〇百年? 長年見ていて、樹勢が弱った時もあり、実のなり方は、年によって様々です。シンボルツリーとして、日差しよけとして大切な樹です。
今年は特に葉も、果実も多くて、元気です。「M家の人びと」を何人、牛・豚・ニワトリ・イヌ そしてヤギと動物を何頭見守ってきたことか。
最初の写真が、メイ3ヶ月 昨年6月の写真です。
次の写真が、メイ1年5ヶ月 8月7日の写真です。
昨年5月に我が家へ来たメスヤギが メイ
続いて、6月に来たメスヤギが ジュン 単純に月の英語表記です。
メイは、白ヤギで少しクリームがかっていたので、ミルクと命名しようかとも考えましたが、メイとなりました。少し遅れて我が家に来たメスヤギは茶色の毛でした。異母姉妹で同日出産でした。次の子は、ミルクに、ショコラとも考えましたが、
命名(メイメイ)は、メイとジュン
1年余 メイは白ヤギから 毛色が変わりつつあり、大部 茶が濃くなりました、染めてはいませんが、白系から、茶系に毛色変わりつつあり。
もし、ミルクと名付けた、毛色は、今 カフェオーレかカプチーノ状態です。2人でメイの毛色を見て、あらあら 変わっちやったネ と楽しんでいます。女は変わると、言いますが ヤギの毛色も変わるのですネ。何ででしょう?
8月7日は暑い日であったと、語り継がれています。今年も暑い日でした。例年の平和祈念式典は、文化会館を会場として開催されます。今年は、70周年の冠でしたので市野球場を会場として開催。一般観覧として参加。帽子 首にはタオル 左手ペット茶 右手に主催者からのうちわ。日差しは強く、コンクリート製のスタンドも暑く、汗が噴き出してきます。自分の意志で来たので暑さは納得。暑さ対策もしてきました。でも汗が流れだす。
高齢の男性に会場への道を聞かれ、私も、70周年だとのことで来ました。80周年には来れるかどうかと言い、今日は多くの若者が参加するのですねと問われ、そうです、小中、高生2.500人(被ばく者数と同じ数)による工廠被爆再演劇も開催されます。子ども達に、参加を通じて工廠被爆を引き継ぐことが大切ですと話しました。
一部は、70周年事業として再現劇など 二部は、平和祈念式典合わせて1時間30分。
写真は、実行委員会企画による 小中高校生参加の再現劇写真のです。会場内では、倒れた男性を現認し、会場内の子ども達も体調不良で、一人ひとり先生に付き添われて、救護所に行く子ども多し。長時間の暑いグランド内での待機は見ていて辛かった。再現劇は素晴らしかった。でも、グランドは暑かった。
子どもたち 引率の先生方お疲れさまでした。
この時期になると、八七会(ハチナナ)何?と聞かれることがあります。八七会は、海軍工廠元従業員で構成された会で、70年前の8月7日に、海軍工廠被爆時生存者で構成されています。
10代の少年工員たちも80歳オーバーとなり、空襲で亡くなった同僚の供養と空襲を語り継いでいますが、会員も少なくなりつつあります。
ブログ写真は、昨年8月の中日新聞記事の一部です。
「海軍工廠空襲 体験語る 豊川の東さん子どもらに」と見出しがついて掲載されました。配偶者の短歌仲間の東千世さん(87歳)を自宅に招いて、地元のこどもらに、空襲時の様子を話しました。
女子挺身隊として工廠に勤務し、空襲体験を語り、最後に、歴史をしっかり学び、戦争を絶対避ける世の中をつくってほしいと話し、子どもたちは聞き入っていっていました。