昭和20年8月7日 終戦間近に、私たちの町に戦争がありました。海軍兵器の生産をする、豊川海軍工廠が、米軍B29爆撃機の空襲を受け、2,500人余の人が犠牲となりました。豊川市では、様々なかたちで、悲劇を伝え続けています。
今春に、工廠跡地に完成した平和公園では、戦争遺跡と、資料館で構成されています。
昨日 配偶者と再訪。暑い夏 空は青い。多くの年配の人が、ガイドボランティアの説明を聞き入り、資料館で静に見入っています。14歳の女学校生徒(女子挺身隊)の手紙や遺影に感じ入ります。
配偶者の父は、工員として被爆し、空襲で下半身が埋まり 救出されたそうです。戦後多くは語らず、生き残った人たちの八七会の慰霊行事に参加していました。
配偶者の短歌仲間 東千世さんは、女学校生徒で従事 隣の生徒が倒れ、私が生きたと、終生思い、短歌に詠い 数年前 我が家でご近所の小中学生に被爆体験を語りました。