余韻は、音が鳴り終わった後に、かすかに残る響きと言われています。
1月26日に、ピアノの演奏を聴き、
翌日には、映画でピアノ曲をたくさん聴きました。
ピアノ演奏を、生(Live)で、そして、映画館の大音量スピーカーで
名曲を、これでもかと耳に叩きこみ、嬉しくてハイテンションになって
いました。
頭の中は、音の余韻が渦巻いていました。
それが、少々困ったことに・・・
その後、自宅オーディオで、同じピアノ曲を聴きましたが、どこか違う?
音が違う、我が家の音は透明感がない! 切れがない! 臨場感が薄い!
昨日のピアノの音色とは違う!
少し凹みました。
今は、回復しました。オーディオ装置が不調ではなく、耳が回復したのです。
考えてみれば、美しいライブの音色(一流ピアニストが、響きの良いホールで、
スタインウェイで弾く)&映画館の音(情報量と低音と音量)の余韻が、頭の中にあるうちに、
ベートーヴェンやショパンを聴いて、音が違う!と感じるのは相当無謀でした。
もともと違うソースの音を、聴き比べても,別物なのですね。
回復方法は、家で少しの間 音楽を聴かないことと、
聴くなら別ジャンルのジャズやボーカルを聴いていました。
音を聴いていて、音楽を聴いていないとこうなるようです。
また、絵画展で感動し、帰りに展示絵画のポストカードを購入したり、
ライブ興奮で、ミュージシャンのCDを購入したりしています。
やはり、余韻があるうちは、ポストカードや、CDに同じ感動は得られません。
その後少し時をおくと、CDを聴いてライブの余韻を楽しめます。
その乖離が無いのが、読書では、
本は活字を、目で追うだけですので、場所も、単行本か文庫本かの影響はあまりありません。
後は、読む時の感受性だけかな。
映画 さよならドビュッシーを観ました。
ピアノコンサートの翌日が、ピアノ曲が10曲も画面に流れる映画で、
贅沢なピアノ三昧です。
映画は、ピアニストを目指す少女が不可解な事件に巻き込まれていくミステリー
です。映像は美しく、ショパンや、ドビュッシーのピアノ曲が多くの場面で流れ
ミステリーというより、ファンタジーな映画でした。現実的ではありませんが、映画ですので。
ラストの、ピアノコンクールシーンでは、ウルウルしました。
以前、名古屋まで観に行った映画 「ピアノマニア」は内容もマニアックで、良い映画ですが少しコックリをしたことがあります。
今回は、おおきな期待をせずに行きましたが、感動しました。
泊真美子さんのコンサートは、北風吹く寒い冬の日でした。
MCで、好きな作曲家はベートーヴェンです。
人生と真っ向から向き合う、彼自身の姿が音楽から滲み出てきて、
第九に至ると語っています。
CDの解説のあとがきに感銘を受けたので転記します。
~CD製作を終えて~
人として多くの試練と共に歩み
もがき、悩み続けた20代だったと思います。
そんな中で、少し気がつきました。
どんなに泣いても、望んでも、どうにもならない時代があり
私は、大宇宙の中の小さな生き物。
目に見えぬものに支配され生きているのだということを。
「私は、私。」「なるようになるさ。」
その言葉の意味が、分かるようになってきたことが
一歩 歩んだのかと思えます。
そんなことに 気付かせたくれた「ベートーヴェン」に心から、
感謝しています。
泊 真美子
演奏のピアノ・ソナタ第8番ハ短調作品13「悲愴」は、感動しました。
作品を描ききり、熱い思いが伝わりました。
昨日 職場の先輩のお通夜に参列しました。
昨日の新聞に訃報記事が掲載されています。
Hさんは、10歳ほど年長で、初めての出会いは、私の就職でした。
当時人事担当で、就職試験の書類を持って行ったら、○○君は、他はどこを
受けたの?と聞かれ、△団体に内定をもらいましたと答えると、合格したら
どちらにいくのと聞かれ、もちろんこちらです(本心でした)と返事をしました。
その後、職場で上司として、ご一緒させて頂きました。
仕事には厳しいが、部下思いのあたたかなハートを持っておりました。
真摯に仕事をし、結論にいたるまでに、どれだけ深く論理的に考えられるか。
そして、結果については後悔しない、言い訳をしない。等々
薫陶を受けました
Hさんが任期満了で、職場を去る時、たまたまお世話する課に在課していたので、
手書きイラストを贈りました。
通夜は、多くの人が訪れ、式場のドアの外にも参列者で一杯となりました。
帰ってから、配偶者にそのことを話すと、「人が財産なのね」ポツリと一言。
