1週間ほど前 親戚の中学一年生女子生徒から、戦争体験者のお話しを聞く宿題があり、誰かいないかとの問いかけから始まりました。
配偶者が、短歌水甕のお仲間の東(アズマ)さんから工廠被ばく体験を聞いていたこと。
そして、配偶者の父も工廠で被爆したこと。
女学校の友人たちが目の前で次々と被爆死をしたのに助けられなかった思いと、父親が生存していなければ、今の自分と、子どもたちはいなかったとの2人の思い。急きょ海軍工廠の空襲体験の体験者のお話しを聞く催しを、自宅で私的に開催しました。
当日は、声掛けした皆さんが快く来ていただき、11人で体験を聞き入りました。また、中日新聞社さんへ、催しのFAXをし、取材、記事となりました。ありがとうございました。
以下は、8月24日中日新聞記事の転載です。
海軍工廠空襲 体験語る 豊川の東さん子どもらに
地元の子どもらを招いて、豊川海軍工廠の空襲体験を聞く会が二十三日、豊川市上長山町の丸山佳巳さん方であった。
佳巳さんの妻公子さんの短歌仲間で、市内の東千世さん(87)が空襲時の話をした。東さんは、女子挺身隊として工廠に勤務。銃身の鋳型製造に携わった。「当時、工廠の西門に張られた有刺鉄線が空襲ですべて吹き飛んだ。父親と再会できた際に、初めて父の涙を見た」などと当時を振り返った。
「戦争が終わっても、経験者はいろいろなことを引きずって生きている。工廠に爆弾を落としたB29の搭乗員も複雑な思いで今も米国のどこかで暮らしていると思う。歴史をしっかり学び、戦争を絶対避ける世の中をつくってほしい」と東さん。子どもたちは身動きもせず終始真剣に聞き入っていた。(久間木聡)