8月6日 広島原爆被爆
8月7日 豊川海軍工廠空襲
8月9日 長崎原爆被爆
68年前に、原爆投下の狭間に、私たちの町にも戦争があったのです。
豊川海軍工廠(海軍の兵器製造工場)は、B29の空襲を受け、2,500余名の命が失われました。
市では、毎年8月7日に、追悼と恒久平和を祈念し、そして、惨事を記憶にとどめるため
に平和祈念式典を開催しています。
式典での平和宣言文では、あの夏の日にではじまり、恒久平和を宣言します。
8月6日の広島での平和祈念式(平和記念式典)では松井市長は、原爆は「絶対悪」と訴えています。
私たちの町の戦争では、配偶者の父親が工廠に徴用されて空襲にあい、多くの、同僚の死に直面しました。戦後生まれの娘は、あの時親が亡くなっていたら、私はと思っています。
戦後、父はその事を末娘に多くを語ることはなかったのですが、この時期には、感慨深いものがあります。
市内では、空襲時間に合せてサイレンを鳴らし黙とうをします。