昨日16日の中日新聞東三河版に、知り合いの記事が2つ掲載されていました。
「豊川ゆかり 夫婦の筆 星野さん、高畑さん絵画展」
「訃報記事 近藤文雄さん 洋画家 15日死去 79歳 豊川市出身」
奇しくも夫妻共に、著名な芸術家です。
星野慎吾さんは 1923生~1997没 日本を代表する日本画家で、精密な絵には圧倒されます。妻の高畑郁子さんは、1929年生まれの日本画家 色彩感覚が好きで、普段は気さくな女性です。(ブログ写真は、10年前 自作絵画前で)
近藤文雄さんは、1929年~2017年没 絵は前衛的であり、絵の題名が洒落ているというか、お茶目です。私は教えてもらっていませんが、出身高校の美術教師でした。
奥さんの近藤惠子さんは、惠子と書いて、さとこと読みます。著名な合唱指導者で、岡崎高校合唱部をNコンで優勝多数に導き、いつも笑顔のパワフルな女性です。大学卒業後新任音楽教師として岡崎高校に赴任し、高校を異動することがなく、定年まで岡崎高校で勤務し、定年後も引き続き同校に勤務したのは稀有な事です。
4人とも面識がありますが、それぞれに芸術活動をしつつ、ご主人はシャイで、奥さんは明るく活発でなんとなく夫婦キャラが似ていました。
2日間で、トモとの距離が一気に縮まりました。
ノッコは、触れるようになるまで1年余 トモは1ヶ月で触らしてくれました。ノッコが抱かれているのを見ていて、僕もと思ったかは分からないが、急激に甘えるようになりました。
ノッコと同じときに生まれた兄弟だとすると、共に生まれて3年程はノラ生活。ノッコはその後の1年半は、家ネコ状態。トモは4年半後に、甘えることができたのか。たぶん、人に身体を撫ぜられるのはネコ人生初めてではないか。眼を閉じてうっとりしています。
2人で居ると、常にノッコが先に歩いています。
異なるのは、ノッコの尻尾は常に直角に立っているが、トモの尻尾は下がっています。いつ尻尾が立つか、見届けています。
10日朝 東名高速道路新城PA付近で、乗用車が分離帯を越えて、大型バスと衝突した事故は衝撃でした。テレビで、空を飛び、バス前面にぶつかるドライブレコーダー映像を何度も見て、あらためて、事故の凄さを感じました。亡くなられた医師はお気の毒ですが、事故原因の解明がまたれます。
観光バス乗客は、豊川市の人達なのですが、亡くなった人がいないのが、不幸中の幸いです。その後、地元に関わる事故でしたので、多くの人からお話しを聞きました。
●事故バスの運転手は、素晴らしく 以前から主催バス旅行は運転手指名で行っている。(地域の人)
●事故箇所は、普段運転しているが、運転には注意が必要。(地域の人)
●事故後、電話で大丈夫だったとよく言われるが、私は参加していない。Y町内会のニュースコメントあるが、Y地区の、お店が企画のお客様感謝ツアーなのよ。(Y地区の人)
13日夜8時から防犯パトロール隊の出発式がありました。通称青パトで、2台の許可を受けた車と運転者 そして組長さんが同乗して地域パトロールをします。
出発前の激励あいさつで、地域の安全なまちづくりの後に、どうか、自動車運転には気をつけてパトロールをお願いしますとあいさつしたら、皆 うなずいていました。
ノッコ 1年半前にやせ細った白いネコが、家に来て食事を与えていたらなつき、三食部屋付きの家ネコになり、毎日スリスリして、抱いています。
一ヶ月ほど前に、ノッコが友達を連れてきました。首筋に他のネコに噛まれた深傷を負って元気がない。ノッコがこの家はいいよと言っているようです。
名前は、ノッコが友達を連れて来たので、トモと命名、朝晩 食事に来て体力もつき、。深い傷もほぼふさがりました。
警戒心の強かったネコも昨日は初めて背中を触らしてくれ、もう 準家族です。
二人で鼻を突き合わせて 遠からず 近からずの距離となり,仲良しとなりました。先輩ネコのノッコは、電線ドラムでリラックス。トモは、後輩なので、遠慮かちに隣の、先代イヌのベッキーの墓石の上でのんびりしています。
共に小型で、毛並みと体型がそっくり。とある事情で離れ離れとなった兄弟ネコなのではと感じています。
母が4日に逝き 7日に葬儀、告別式が執り行われました。
喪主あいさつより(抜粋)
本日は、お忙しいところ、亡き母の葬儀、告別式にお越しいただき、誠にありがとうございます。母は、6月4日朝、享年89歳で死去しました。
母は病気もなく、元気でしたが9年前に夫を亡くし、ここ数年は、年齢ゆえに老いてゆき、昨年4月からは、寝たきりになりました。
高齢化社会を迎え、家族の介護は自分たちの役割と認識しておりましたが、自宅介護は正直大変でした。ただ、ショートスティから帰ると、ニコッとする母を見て、家がいいのだと感じました。
徐々に衰弱し、最後の一ヶ月は食事を受け付けず自宅での点滴となり、最後は眠るがごとくでした。死因は、「老衰」で、最後まで苦しむことも、痛みを感じることもなく、逝けたのは幸せとも感じます。
訪問診察や訪問看護、リハビリなどお世話になった皆さま方に感謝申し上げます。そして、母親は家で看護すると覚悟を決め、一年余献身的な看護をした、配偶者には感謝します。
母は、豊川市千両町に生まれ、少し離れた上長山町に嫁ぎ、父と実直に農業を営んでおりました。格段の波乱のあった人生ではなく、土を相手に、そして、家族と共に淡々と生活をしておりました。何をするのも父と一緒で、父との小旅行を楽しみ、子どもや、孫の成長を、生きる糧として生活し、自宅で人生を終えました。多くの皆さまのお見送り、ありがとうございました。
ひ孫の小1生 K太が前夜書いた おおばあちゃんへの棺へ入れる二人の秘密のお手紙を、K太にお願いして写真に撮りました。
おおばあちゃん、あの世で ニッコリして読んでいることでしょう。