ミレー展観覧後、ミュージアムショップで図録を購入。併せて、展覧会限定グッズのスイートバジルのステック状のバジル種セットを購入しました。ステック状の紙に種がついていて鉢などに挿して、水やりをすれば発芽するセットです。
今 我が家の家庭菜園は、冬大根の種をまく時期です。
種をまくは、野菜以外の、社会のさまざまな場面で必要だと感じますと。そして、播種後は、水やりが必要な場合や、水やりしすぎて腐らせることも、発芽しなかったり、ほっといても立派な芽を出す場合も、個々にあるのでは。でも、種をまくことが最初では。種をまく時は、ポジティブで。
明日9日朝6時から、全米テニス決勝。BSのWOUWOWでライブ中継。映画や、音楽、演劇を見たいため加入しましたが、テニスは初めての観戦。楽しみにしています。
夏のヤギ生活は、暑さと蚊対策。
蚊は、人も困るがイヌ、ヤギも同様です。虫よけスプレー使用できず、古典的ですが蚊取り線香使用です。イヌは、蚊を媒介し、フィラリアの幼虫が心臓に寄生し死に至る場合もあるし、ヤギも蚊を媒介した虫により、腰に障害が起こる場合があります。
定期的にイヌのはなは、フィラリア予防に、動物病院処方の粉末薬を投与。メイたちには、腰麻痺対策にワクチンの経皮接種をしています。そして、蚊が原因ですので、蚊取り線香を周辺に置いています。
蚊を媒介とするのに、今、話題のデング熱がありますが、媒介するのはウイルスですので深刻です。私的には、人類に最大の脅威をもたらすのは、ウイルスだと感じます。ウイルスは他の生物の細胞を利用して、自己複製をする特徴があります。そして、侵入された細胞は破壊される。HIV インフルエンザ トリインフルエンザ エボラ出血熱など。
そして、ヤギを飼うことが決まった時 気になったのが、口蹄疫。家畜にとって、壊滅的な法定家畜伝染病で、豚 牛 羊 ヤギがり患します。農場で発症すれば、周辺の家畜は、移動禁止 殺処分されます。
以前 鳥インインフルエンザが発生した時に、県職員が大量のニワトリの殺処分をしたのが辛かったと言っています。メイとジュンもペットといえども家畜ですので、こんなことが無いように。
「ライブカフェ「足助のかじやさん」広瀬明史さん死去 62歳」
今日2日の中日新聞三河版に報じられました。
少しばかりですが、関わりがありますので記します。
記事は、広瀬さんの活動、人となりを実によくまとめています。会ったのは一回。23年に、オファーしてホールでのコンサートを開催しました。小椋佳と声質が似ている響のある人を包み込むような歌声でした。作詞作曲により、ふる里を歌っていました。
足助のひな祭りを歌った「足助中馬のおひなさん」が好きです。春まだ浅い 足助の町がで始まり、魂 宿る おひなさん 時代を超えて 子らを 見守ってくれで終わる、しみじみとしたふる里賛歌です。
終演後、お話しし、私も大学の同窓ですヨと言い、ああ、そうですか。小椋硅と声質似ていますネと言い、よく言われますとの返事。
会話も、互いに朴訥でしたが、人柄を感じました。 CDジャケツトは、ギターケースに入ったお孫さんの、じいちゃんがんばれのコメント。
まだまだ、惜しい。
自宅で、豊川海軍工廠の空襲体験を聞く会を聞く会を開催して1週間。中日新聞に掲載されたことで、多くの反響がありました。記事には地域と氏名しか掲載されていませんが、出会った時や会合での声掛け、メールで見たよ、そして、いい事やっているネとのコメントが。
嬉しい事2つ目
昨日夕方、メイとジュンを譲って頂いたご家族が、ヤギ訪問。可愛いと成長を喜んでいました。嫁がせ先の、飼育環境が悪かったり、子ヤギが可愛いと飼い始めたが大きくなるともてあますということもあるそうです。2人を見て安心していました。
写真は、空襲体験会参加の子どもたち。ヤギを興味深げに見ていました。メイ ギャラリーには慣れてきているので、マイペースです。多くの人と接し可愛がってもらっているので、もう、ペットです。皆さんの訪問お待ちしています。
1週間ほど前 親戚の中学一年生女子生徒から、戦争体験者のお話しを聞く宿題があり、誰かいないかとの問いかけから始まりました。
配偶者が、短歌水甕のお仲間の東(アズマ)さんから工廠被ばく体験を聞いていたこと。
そして、配偶者の父も工廠で被爆したこと。
女学校の友人たちが目の前で次々と被爆死をしたのに助けられなかった思いと、父親が生存していなければ、今の自分と、子どもたちはいなかったとの2人の思い。急きょ海軍工廠の空襲体験の体験者のお話しを聞く催しを、自宅で私的に開催しました。
当日は、声掛けした皆さんが快く来ていただき、11人で体験を聞き入りました。また、中日新聞社さんへ、催しのFAXをし、取材、記事となりました。ありがとうございました。
以下は、8月24日中日新聞記事の転載です。
海軍工廠空襲 体験語る 豊川の東さん子どもらに
地元の子どもらを招いて、豊川海軍工廠の空襲体験を聞く会が二十三日、豊川市上長山町の丸山佳巳さん方であった。
佳巳さんの妻公子さんの短歌仲間で、市内の東千世さん(87)が空襲時の話をした。東さんは、女子挺身隊として工廠に勤務。銃身の鋳型製造に携わった。「当時、工廠の西門に張られた有刺鉄線が空襲ですべて吹き飛んだ。父親と再会できた際に、初めて父の涙を見た」などと当時を振り返った。
「戦争が終わっても、経験者はいろいろなことを引きずって生きている。工廠に爆弾を落としたB29の搭乗員も複雑な思いで今も米国のどこかで暮らしていると思う。歴史をしっかり学び、戦争を絶対避ける世の中をつくってほしい」と東さん。子どもたちは身動きもせず終始真剣に聞き入っていた。(久間木聡)
